「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」
総菜コーナーで男性が、幼児連れの女性に放ったことば
これ
バズったの見ました?
私もうずっとずっともにゃもにゃしてて
重要なのは「ポテトサラダを家庭で作る手間」よりも「"見ず知らずの親子連れにいきなり難癖をつける高齢男性"という異常者が存在する事」ではないのか。
このコメントに気持ちを集約させて落ち着くことにしました。
ほんこれ。
がるがる。
この、とんだ災難のような言われなき非難を受けた若いママさんが、
思い悩んだりしてないといいな
・・・とわたし
落ち着くといいながら・・・
見ず知らずじゃなければ言ってもいい訳でもないと思う
夫でも身内でも友人でも
どんなときでも
自分の価値観で相手を非難したら、いけない
ね
そういいながら
わたしも
この男性を非難してる
だから
この男性を擁護するべく思いめぐらせてみた
→熱烈なポテサラマニアだった?
→ポテサラに妥協を許さない熱血漢説?
→手作り至上主義者ならスーパーのお惣菜担当の方に失礼だし
→だとしても伝えるならばポテサラ愛であって非難ではない
→いずれにせよ “母親ならば” でいいくるめられない
→もしかしてここのポテサラがとても美味しくなかったのを知っていた?
→スーパーの方ごめんなさい
→それにしたって “母親ならば” で伝える話ではない
ポテサラはダメで
マヨネーズはよくて
じゃがいももよくて
この男性の価値観を否定はしない
(奥さんは大変だったろうなとか穿ってしまうけど)
押し付けるの良くない良くない
スーパーに来てる時点で “母親ではないけれども” 全自給自足してませんものね?
何が違うの
みんな違う
それでなにがダメなんだろう